2011年5月26日木曜日

食事時に音楽を

食事中に音楽を流す風習は、現代では学校で刷り込まれているのではないか。


Twitterのタイムラインでこんなものを見かけた。



田舎の小学校で育っていた頃、昼食のBGMと言えば教諭が放送室に取り揃えた児童音楽や童話朗読のレパートリーの中から、曜日ごとに決まったジャンルのものが放送されていた。

リクエストの記憶は一切ないが、ひょっとしたら私が覚えていないだけで月一回くらいまとめて流されていたのかも知れない。


転入した中学校はというと、大分荒れた時期を経験した後だったらしく風紀の粛正に力を入れていて、生徒からリクエストを募るというシステムが無かった。

昼食のBGMは放送委員が選んでいて、放送委員に個人的に頼めばかけてくれることもあったものの、教諭の監督下だったのか飛び抜けて変なものがあった記憶はない。

せいぜいゲームのサウンドトラックが年一回くらい流れるのが限界だった。


そして高校に至っては、そもそも講義の時間までに戻っていれば敷地出入りすら自由で、学校が食事の時間枠を指定しているわけではなかったので、BGMがあったという記憶すらない。


こんな背景があるためか、お昼時の音楽を自分たちが決められるということは、私にとってかなり稀少な自由に見える。

だから、どんなジャンルの音楽が禁止されるべきか、どんな音楽なら掛けてよいのか、そういった議論に自然に入り込めない。

どんな議論が出てきても「そもそもお昼時の音楽なんて、ラジオじゃあるまいし自分たちの意見が反映されるものではないと思っていたんだが」となってしまう。


私は、食事のときに音楽をかけられるのがあまり好きではなかった。

当時はその理由がよくわからず、自分の好きでもない音楽を聴かされているからだと思ったこともあったが、よく考えると違うような気がする。

今思えば、食事と音楽を両立する発想に馴染みがなかったからではないだろうか。

子供の頃、家庭で食事をしているときにテレビやラジオ、音楽などがかかっていた記憶は無い。

音楽を仕事とする一家に生まれた私にとって、音楽は特別な存在であり、垂れ流すものではなかった。

その影響は変な形で残り、音楽がかかるとそちらに意識を持っていかれることが多く、意識して聴かないように努めなければならない。

食事中にそういった努力を強いられるのが、今思えば苦痛だったのではないか。


ちなみに今でも音楽が気になってしまうのは変わっていない。

有線放送のかかっている牛丼屋よりも無音の定食屋の方が好きである。

そのほかにも、発車メロディや携帯電話の着信メロディ、イヤホンの音漏れのリズム等に過剰反応を起こすので、通勤電車が好きになれないなど、弊害は数多い。


そんな私の結論は、したがって単純なものになってしまった。

食事中は、音楽を流す時間ではない。

子供の食事と談笑に、BGMは必須ではないと思う。


そもそも、なぜ学校では食事時に音楽を流すのだろうか。

貴族のサロンならいざ知らず、庶民の食事にBGMが付くというのはいつからどこで始まったのだろうか。

どうやったら調べられるのか見当も付かないが、かなり気になるカルチュラルスタディーができるかもしれない。


そしてここまできてようやく、冒頭の発想が生まれる。

逆説的だが、学校で食事時にBGMを流していることが、食事時に音楽がかかっていることを普通と感じる人々を生み出す遠因になっているのではないだろうか。

食事時に音楽がかかるというのは、つい半世紀も前まで特別なことだったはずなのだから、現代ではごく当たり前のことになった背景が何かあるように思うのだ。


もっとも、私が音楽に特別な意味を与えているがゆえにこう考えてしまうだけで、こんな考えなど実際にはどうでもいいことなのかも知れない。

食事時に音楽がかかっていることを気にしない人々、あるいは気付くことも無い人々だっているのだから。

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