どうしてそこで脱力するのか。
開催都市決定まで10日を切った今になって、こんなものが出現した。
この記事を執筆した8月30日時点での紹介文を全文引用する。
2013/09/01 追記有。詳細は文末にて。
この招致応援ビデオは、世界中の人に愛されている「上を向いて歩こう」のメロディに乗せて、様々な世代の人たちが、オリンピック・パラリンピックの東京招致を願って、楽しく踊っている映像です。ビデオの中の人々の明るい笑顔がスポーツの力や子供たちの明るい未来、そして東日本大震災からの復興への願いを表現しています。
オリンピック・パラリンピック招致応援ビデオ
2013年8月30日現在
この通り、ここに登場する人々は楽しく踊っている
のだ。
実際のところ、よほど天邪鬼な見方をしない限り、楽しく踊っている人が多そうに見える。
ところが、私にはこの人たちと一緒に踊りたいとか、こっちまで楽しくなってきたとか、そういう感想が全然浮かばなかった。
わくわくしない。
展開されているノリに同調する気になれない。
つまらない盆踊りに見える。
詳細は後述するが念のため先に書いておくと、こんな不感症な私でも格好いいと思った盆踊りは存在するし、世間の盆踊りの全てがつまらないなどと言うつもりもない。
そんな風に思いながらぼんやり眺めてから、自分が同調できなかったポイントはどこなのか少し考えてみた。
その結果、盆踊りによくありそうな動きをしているところよりも、アイドルの振り付けに近いような動きのところの方が、ずっと悪い意味で盆踊りらしいというか、格好悪いような気がしてきた。
1番でも2番でもサビに差し掛かったところで出てくる、手で胸の前に円を作る動き。
おむすびの形の人の方が多いように見えるが、ハートを形作ろうとしている気もする。
問題なのは手の形ではなくて、3拍目・4拍目や7拍目・8拍目に現れる、脱力姿勢の 休め にある。
音楽を演奏するにせよ、振り付けをするにせよ、そこで休んでしまっては躍動感が途絶してしまう、その瞬間に繰り出される脱力姿勢。
ここだけでなく、1番のテニスコートの振り付け、プールサイドの子供たちの動きなど、綺麗にピタリと静止するわけでもないが特段の動きはない、という瞬間が、3拍目・4拍目や7拍目・8拍目にしばしば現れる。
この瞬間が、どうも私を萎えさせるのではないだろうか。
勝手ながら、この現象を三四が無い動きと名付けた。
多くの盆踊りの代表的振り付けも、一に見得切り、二に戻り、三四が無くて、五から左右逆、と考えればこの特性を持っていることになる。
そして、この特性があまりない踊りであれば、私もワクワクすることがあるように思う。
その顕著な例が阿波踊りであり、あるときテレビで数分だけ流れた程度だったにも関わらず、あまりの躍動感に圧倒されたことを鮮烈に記憶している。
三四が無い動きにはあまりワクワクしない。
日本の踊りに限らず、ダンス甲子園であってもそれは変わらない。
私が日本のポップスシーンの踊りにあまり心動かされないのも、これが原因なのかも知れない。
なお、三四が無い動きは、三四に動作らしい動作が割り当てられていない状態を指す。
拍を数えるような上下動もせずピタリと静止するような動き、いわば静止という動作を3拍目・4拍目に入れたとしても、三四が無い動きだとは感じないだろう。
2013/09/01 追記
この記事を執筆した当時とは動画の紹介文が変わってしまっている模様。
9月1日時点での紹介文は日本語文と英文からなるが、このうち日本語文は以下の通り。
2020年東京招致を願い、子供からおじいちゃん・おばあちゃんまでたくさんの人たちが一生懸命にダンスとジェスチャーでエールを送ってくれた応援映像です!
みなさん素敵な笑顔で、東京招致成功のために、心から応援してくれています。
2020年 オリンピック・パラリンピックを日本で!
改行等に関連するHTMLタグは筆者が振り直している。
オリンピック・パラリンピック招致応援ビデオ
2013年9月1日現在
執筆当時から同動画へは批判的あるいは懐疑的コメントが多く寄せられていたためか、9月1日現在はコメント機能も停止されている。
変更された文章といい、コメント機能の停止といい、悪い意味で必死さが伝わってくるように思うのだが、大丈夫だろうか。
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