2012年6月15日金曜日

ダウンロードと著作権

6ヶ月ぶりの投稿は、著作権に関する話。


タイムラインに突然「ダウンロード違法化」が出現したので何事かと思って調べてみると、こんなことになっていたようだ。

私は家族が音楽家であることもあって、著作権に関してはもともと興味があった。

2010年には既に罰則は無いもののダウンロードが違法になっていたことも知っていた。

その頃から可罰化の可能性は多方面で指摘されていたし、私自身もその可能性を感じていたので、ある意味ではやっぱりこうなるか、という気持ちになっている。


権利の保護について、よく権利者の主張が取り沙汰されるが、私には権利者が今回のような権利保護を望んでいるようには思えない。

というより、権利者という一枚岩が存在するようには思えない。

音楽家は、自分の作品が多くの人に愛され、末永く残ることを夢見ていると思う。

音楽だけでなく、絵画、彫刻、写真、映画、小説、漫画、戯作、およそ芸術と呼ばれるものの多くを制作する人は、多くの人に自分の作品に触れてもらいたいだろう。

一方で、商業を成立させようとする音楽出版社、画廊、映画制作会社、書籍出版社、プロダクションなどは、営利団体である以上は採算という物差しを常に携え、利潤の追求を目指している。

以降は広い意味で、前者=制作者、後者=出版社と書くことにする。


どちらが良いか悪いか、どちらを重視すべきか、という問題ではない。

大事なのは、両者は自らの権利についての利害が違うであろうこと。

制作者とっては、もちろん自らの生計を考えれば著作権による収入も大事だが、それだけでなく自分の著作物が愛され続けることも大切なので、一定の事情があれば利用者が無償利用することにも理解を示すのではないかと思う。

一方の出版社は、著作物に改変が施されてしまうことよりも、自らに帰属すべき収益が間違いなく入ってくることが重要であり、利用者がいわば裏ルートを通じて有償物を無償で手に入れてしまうことは承服し難いだろう。


もうひとつ、今回のダウンロード可罰化問題が音楽と動画に対象を限っていることも興味深い。

この中には、実質的に絵画、彫刻、小説などが含まれていない。

含まれていないこれらの分野に比べ今回の対象となる分野は、1つの作品の命が短いという傾向がある。

特に音楽と映画はその傾向が強く、1つの作品からできるだけ早く利潤を稼ぎ、その作品から利潤が上がらなくなるまでに次の新作を世に送り出す、という事業を出版社が繰り返す必要がある。

そのため、ひとたび「モテ期」が過ぎてしまうと、よほどの名作でない限りその作品が省みられることは無くなってしまい、制作者にとっては悲しい結末が待っている。

これが、制作者と出版社の間の大きな違いを顕著に表現している。


双方に利益を感じてもらうには、どうすればよいか。

それには、制作者の権利と出版社の権利をもっと明白に切り離す必要があるように思う。

たとえば今回の問題に絞って考えるなら、制作者の権利とは別に、出版社に対して独占的に有償配信できる権利を短期間だけ与え、その期間内はダウンロードを違法とし可罰化、期間経過後はダウンロードに対する違法性が消滅する、というのはどうだろうか。

独占有償配信期間は1年程度以内の範囲で出版社が定めて、出版社の収入を確保する。

その収益の一部が別名義で制作者にも渡ればなお良い。


そして期間経過後はフリー素材として世に親しまれたり、あるいはリミックスの材料として今後の作品の糧となる。

今回のダウンロード可罰化によって、二次創作を皮切りにしたコンテンツ産業全体の活力低下を招いてしまうのではないか、という危惧がもたれている。

この案なら、期間経過後の流通をフリーにすることで、違法性を問われることなく作品の流通が続き、文化の萎縮も避けられるように思うのだが。

中には過去の作品を発掘し、制作者が新たな肉付けをすることによってアレンジ作品を出版する、なんて出版社も出てくるかもしれない。

個人的にはそういった出版社が出てきてほしいので、それを応援するためにも、この場合も短期ながら独占有償配信期間を与えたいところだ。


といっても、誰かが思いつきそうなのに実現していないというからには、何か私が見落としている致命的問題点、ないし反対勢力があるのかも知れない。

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